AIの浸透速度には、正直まだ驚いている。
気づけば仕事でも日常でも、AIを見かけない日は少なくなった。仕事のパートナーとして、気軽な相談相手として、それぞれの距離感で使われている。
ただ、便利さと同時に、扱い方をちゃんと自分で決めておかないといけないとも感じている。依存度が上がるほど、いつの間にか自分ではなくAIが中心になっていく。そのことに、少し前から気になりはじめていた。
AIを使うことに、少し抵抗があった
今のAIはほぼ何でもできる。日常的な対話から、指示を出すだけでかなりの作業を進めてくれるエージェントまで。まるで「これ、やっといて」と同僚に頼む感覚に近い。
それでも、任せすぎることへの不安が湧いてくるようになった。
自分でやった気がしない。何かを調べたり学ぼうとする必要がなくなっていく。周囲では「あの業種もAIに替わる」という話が絶えず、AIがどこへ向かっているのか読めない不透明さもある。
うまく言語化できないけれど、自分がどんどん腑抜けになっていくような感覚があった。恐怖と焦りと、学ぶことや挑戦することを手放してしまうことへの不安が混ざり合っていた。
少し大げさかもしれないが、そんなことまで考えてしまう時期があった。
でも、全部を自分で抱える必要はなかった
少し暗い話になったけれど、それでもAIが便利なのは変わらない。
たとえば、こうやって記事を書くとき。以前はすべてGoogleで手動検索して、下調べをして、構成を考えて、情報を整理して、推敲して、という流れを全部一人でやっていた。クライアントワークのライティングでも同じで、構成を考えて、話の流れをまとめて、リサーチをして、裏付けを確認して、とかなりの工程がある。
今の僕のAIの使い方は、このうちのリサーチと情報整理、そして誤字脱字の確認に絞っている。以前はもっとフルで使っていて、全体の流れごと任せていた時期もあった。
でも今は部分的な利用にしていて、できるだけ「自分の色」が残るように原稿を書いている。そのほうが、ありきたりな記事にならずに自分のブランドになっていくと感じているからだ。
これからAIがどう進化していくかはわからない。それでも、自分がやっていて心地よいと感じる使い方を素直に選ぶようにしている。
AIは、考える代わりではなく考える前の整理に使う
これが、今の僕にとって一番重要な部分だと思っている。
AIは自分の代わりではなく、思考を整理するための道具だ。
今の僕がよく使うのは、壁打ちと思考のまとめ。もやもやしてきたら、A4用紙にひたすら頭の中を書き出す習慣がある。感情に任せてざっと書くから、後から見返すと接続がわかりにくかったり、字が汚かったりで、整理に時間がかかっていた。
その作業がAIに変わった。書いた紙を写真に撮って投げるだけで、いい感じにまとめてくれる。足りない部分は音声で補足することもあって、タイピングしていた頃より明らかに早くなった。
AIに話しながら整理していると、思考がクリアになっていく感覚もある。
こうして思考整理の時間を取るようになって、定期的に自分の頭をメンテナンスできている感じがしている。一人でやっていた頃より、やりやすくなった。
書くことや学ぶことのハードルが下がった
AIは、日常の情報発信や学び直し、新しいことへの挑戦のハードルも下げてくれる。
本業、家事、睡眠だけでもかなりの時間が取られる中で、やってみたいことがあっても手が出せずにいた。「どうやって始めたらいいんだろう」と調べはじめても、「やっぱり面倒そう」と感じてやらないままという日が続いていた。
AIはそういった未知の領域も、ざっと調べてわかりやすくまとめてくれる。この「学びの壁打ち」が助かっている。
もちろん、AIが正解を言っているとは限らない。自分の頭で理解しながら進めていくことは必要だ。ただ、これはAIに限らず、ネットで誰かに教えてもらうときも同じだと思う。
むしろ、「自分って見ず知らずの人の言葉をこれだけ鵜呑みにしていたんだな」と気づかせてくれたのが、AIだったりもする。
AIだろうが他人だろうが、本質は変わらない。自分の頭を使って、自分で選んで、責任を持って動く。AIはそのハードルを下げてくれるサポートであって、主役ではない。
ビジネスメールや上司への資料まとめなど、自分が苦手としていた部分もAIに頼れるようになった。やりたいけど時間がないこと、毎日継続するには負荷が高いこと。そういった場所でAIは役立っている。
AIも間違えるし、僕も間違える。でも、互いに進んでいるこの感覚がなんだか面白い。
大事なのは、AIに奪われないことではなく使い方を決めること
とはいえ、特に壁打ちに使っていると、少し油断するとAIが主導権を持って、自分がサポート側になっているときがある。
気づいたら、まず主導権を自分に戻す。常にそのことを意識しながら使っている。
AIだろうが他人だろうが、最後に選択するのは自分だ。
今思えば、僕の場合はインフルエンサーがAIに変わっただけかもしれない。もともと他人の意見に流れやすかったからだ。
学校では「どうすれば褒められるか」。
SNS全盛期には「インフルエンサーの言葉を信じて」。
AI時代では「AIが言うなら」。
人間が相手のときは気づきにくかったけれど、AIが中心になってからようやく違和感を覚えた。その気づきのきっかけがAIだというのが、なんだか面白い。
自分を見失わないこと。自分の肌で感じて、経験して、自分で選ぶ。これが今後も重要だと思っている。
創作には、AIを一切使っていない。
創作は自分を表現できる場所で、そこにAIが入っては意味がない。時間をかけて、自分の色に染めていくものだから。
情報発信や原稿には真偽性が必要だけれど、創作に正解はない。今の自分が出せるもので全力で向き合っているだけだ。
そこにAIは必要ない、と今は思っている。
AIを使って、自分の時間を取り戻す
最初にAIを使い始めた頃は、「いかに効率化するか」ばかり考えていた。AIをうまく活用できている自分に、少し酔っていたかもしれない。
実際、エージェントを使い込んでいた時期は、仕事に向き合う時間がかなり減った。
でも今は逆に、「いかに自分が考えるか」「いかに自分の色を出すか」を考えている。ほぼ真逆の方向だ。
AIに限らず、僕は他人に時間を奪われてきた。
「褒められたいから」
「いい人だと思われたいから」
AIも確かに、気を抜くと席を奪ってくる。いつの間にかAIが指示していて、自分がその通りに動いているという構図に違和感を覚えていた。
でも気づいたら、AIも人も、自分が主導権を持っていなかったという意味では変わらなかった。
まず自分の時間を取り戻す。
自分がどう生きたいか、何に挑戦して、どう進んでいくか。
AIとともに歩むとしても、実際の行動や思考の主役は自分であるほうがいい。
その分野について自分がある程度理解しているほうが、AIへの指示も的確になるし、何より自分が腑に落ちながら進められる。
何でもAIに任せてしまうのは、自分の無知を棚に上げることでもある。それに、そんなやり方では楽しいと思えない。
AIに任せる部分を、自分で決める。
今のところ、それが一番しっくりきている。
