ミニマリストになりたかったわけではない。
むしろ、物を減らすこと自体にはあまり興味がなかった。ただ、めんどくさがりだった。探すのが面倒。掃除が面倒。管理が面倒。服を選ぶのも面倒。だから、自然と減らしていった。
選択の疲れを減らしたかった
何かを選ぶたびに、少しずつ疲れている感覚があった。
特に高い買い物をするときは、脳が重くなる。少しでも安く、より自分に合う物を、後悔しない選択を——そのすべてに脳を使っていると、じわじわ消耗する。
だから、毎日着る服や食べるものをあらかじめ決めておく仕組みを作った。その日取り組むことも、前日に予定として入れておく。
迷う回数を減らすための仕組みとして、物を減らしている。
少ない方が、美しかった
正直に言うと、これがミニマリズムへの起点だと思っている。
小学生のころ、友人の家に遊びに行ったとき、机の上に教科書と最低限の筆記用具だけが置かれていた。引き出しを開けると、大好きなゲームがきれいに並んでいた。
外観はシンプルで、中には本当に好きなものだけがある。
しばらく立って、見とれていた。
なぜ物が少ないと美しく見えるのか。おそらく、本当に好きなものが浮かび上がって見えるからだと思う。当時の自分がなぜそれを感じ取れたのかはわからないけれど、あの感覚はいまも残っている。
ミニマリズムは、自分にとってツールというより、美意識に近い。
探す時間をなくしたかった
子どものころ、よく親に「目の前にあるやろ!」と言われた。
本当に見えないのだ。意識して探しているのに、目の前のものが見つからない。その怒られ方が嫌で、自分のものをできるだけ増やしたくないと強く思った。
一方で、好きなものをたくさん集めたいという気持ちもあった。増やしては減らして、を小学生から大人になるまで繰り返した。
今は必要最小限に落ち着いている。ものを探さなくていいという感覚に慣れると、もう増やそうという気があまり起きなくなった。
続けるための環境をつくりたかった
継続することは難しい。
だから、自分の意志に期待しすぎないようにしている。
机の上に余計なものがあると、別のことに意識が向く。パソコンのデスクトップが散らかっていると、作業を始める前に少し疲れる。スマホの通知が鳴ると、集中が切れる。
だから、机の上を整理して、デスクトップを片付けて、通知を切る。
何かを頑張るためというより、始めるまでの摩擦を減らすために、環境を整えている。
自分がめんどくさがりだからこそ、環境に頼る必要があった。
本当に減らしたかったのは何だったのか
あらためて振り返ると、物を減らしたかったわけではないと思う。
減らしたかったのは、疲れや雑音や摩擦だった。
最近は物だけでなく、情報、SNS、やることも少しずつ見直している。
ミニマリストになりたかったわけではない。
ただ、少しでも軽く生きたかった。
それが、今も物を減らし続けている理由だと思っている。
